6月の聖句・牧師【 見よ、それは極めて良かった 】
6月の聖句「 見よ、それは極めて良かった 」
【 創世記1章31節 】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は教典として「旧約聖書」を共有している宗教です。
いずれの宗教も、この世界を神が創造されたのだという見解で一致しています。
これら一神教の特徴として、私たちが生きるこの世界、全宇宙を含むこの世界は神様から預かったものだという認識があります。
さらに言えば、神は人間を含む全ての生物を造られたと信じているのです。
つまり、私たちのこの「いのち」ですら、神様から授かったものだと考えます。
あらゆるものの所有権は、神様にあるという認識です。
しかし、産業革命以降の工業化の過程で、キリスト教文化圏でも「自然は預かり物だ」という認識は薄くなり、
人間が自分たちの都合で自然を破壊し「開発」という名の収奪が繰り返された結果、
この地球環境は容赦のない変化に見舞われています。近年の異常な気候変動は、「開発」の副産物です。
さらに「すべてのいのちは授かり物」という認識も極めて希薄になっています。
人間の価値を「生産性」で図ろうとする価値観は、そういった認識の喪失とともに生まれてきた近代的な価値観です。
すべての子どもたちの「いのち」は、等しく尊いのだという感覚は、
「授かりもの」という謙虚な認識なしには生まれないものだと思うのです。
神はすべてのものを造られた後、それらを見渡して「見よ、それは極めて良かった。」とおっしゃった。
存在するものはすべて、その当初から「良いもの」という太鼓判を押されてそこにあるのです。
だから、すべての子どもは「良い子」なのです。
牧師 田島靖則